人様のコンテンツの話

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M-1グランプリ2022 見たよ

昨年、一昨年と見ていた予選の動画チェックは今年は出来ませんでした。
M-1グランプリ2020、2回戦全ネタを見る(東京分しか見てない)
M-1グランプリ2021 3回戦全ネタ見た


だったらと、逆に決勝進出者も知らず、敗者復活も見ず、何も知らずに決勝だけ見ようと。

果たして。
M-1は18時半に番組始まって、19時15分にようやく1組目ってだるすぎない?

1本目

カベポスター

なんか、うーん。
結構ニヤニヤはした。でも特に笑えなかった。
なんならネタ後の「那須川天心」が一番良かったかなあ。

「自分の部屋!」で笑ってるお客さんいたけど、そこ笑うところか?「子供の欲しいもの」の答えとしてごく普通だぞ。
「悪いとこが無い」と塙さんと大吉さんは言っていたが、確かにそれはそう。
でもなんかそれだけだったなって。心に残らなかった。

真空ジェシカ

私は結構好きだった。
でも諸々の例えがとにかく客席に伝わってない感じがした。
3,40秒オーバーしてた?
「ボケとツッコミの声量が逆であってほしかった」というのはまあ本当に好みの話だと思うよ。

オズワルド

ここ近年のM-1ってとにかく客がうるさいぐらい笑う、笑いどころじゃなくても笑うイメージだった。
でもオズワルドは何をやっても空回ってたね?急にステージ重くなったのなんで?敗者復活発表からの待ち時間の影響?
→録画確認したら笑神籤引いてから、オズワルドのネタまで8分も空いてる。それは無理だよなー。システム変えてください。オズワルドのようなローテンションでは挽回がかなり難しくなるね。
「ステージから突き落とす」は実際に落として欲しかったなー。

「前半が……」という審査員の意見がちらほら。なんか客が世界観についてこれなかったんかなとは思っていた。

ロングコートダディ

笑い飯の亜種だなと思ったらもうその時点で私は笑えなくなった。
ロングコートダディの色が感じられない。
でもこの理論だと「ダブルボケ」を全否定することになってしまう。うーん。そんなつもりはないんだけど。
考えるとこれ「片方が片方の説明」という、実は霜降り明星パターンでもあり、そこがむしろ私にはダメだったのかも。
あるものとあるもののかけ合わせで個性が見えなかったというか。

さや香

変わったよね。
去年の3回戦見た時に書いた通り
今のほうが好き。
審査員が高得点なのは「こういうのを待ってた」んだろうね。
唯一の正統派漫才。

男性ブランコ

「何やってんの?」って空気がしばらくあって、2回目からはお客さんが理解してくれた。死に様が美しい。
浦井と平井の名前をつかみにするなら、それが本当にわけわからなくなるようなネタも見てみたい。

ダイヤモンド

彼らを初めて見た時の衝撃って、ボケツッコミ逆だったんだけども。
そして前半のもやもやを後半で解消してくれるのが面白かったんだけども。
それすらも逆になってしまったの?

ヨネダ2000

去年の3回戦のネタのほうが好き。その衝撃が強すぎて。あれを超えて欲しい。
それを求めてるから、ここまで喋ったりするネタだとむしろ物足りない。

キュウ

今年ローテンションの組多いね。
M-1用にキレるのを捨てた?
んー……謎掛けになってるのは面白かったけど、そこから特に広がらなかったなー。
期待させたのに、むしろそこからほぼスカしになってしまったし。

ウエストランド

あー、今日1番笑った。
皆目見当違い!私だ!
最初完全にお客さん置いてきぼりにしてたけど、「警察に捕まり始めてる」で割りとぐっと引き寄せたね。
ウエストランドはそう、それでいいんだよ。
これも2020年に書いたやつが私の中では伏線になってたなあ……。
ただ攻撃をするのではなく、ゲーム形式でやるのがちょっとポップで見やすい。

1本目を終えて

ウエストランドが残ったのが何より意外だったけど、まあさや香優勝だろうなって感じだった。
普通に1本目と同じスタイルの漫才やってくれればそれで決まりだろうと。

2本目

ウエストランド

続きが見られたのはそれでいいね。いいよ。
こっちのネタは以前どこかで見た。
でもやっぱり今日笑ったのはウエストランドの2本だった。
荒削りも荒削りで、すごく刺さってウケる部分もあれば、誰にも刺さらない部分もある。だから優勝にはさせにくいなあって思ってたけど。

ロングコートダディ

片方が動いて、片方がマイク前。
霜降りに影響された若手がよくやるやつ。
ロングコートダディは2本とも彼らの色を感じなかった。

さや香

性のネタは賞レースで審査員が点数つけにくいのを、逆手に取ったんかなー。と、最初は思った。決選投票は採点関係ないので、選ばれれば勝ちだと。
小学生も見るのよM-1は。家族みんなで見てたりするのよ。
明日以降も優勝漫才は何度もテレビでやるのよ。
そこまで考えられていたのかな。
「大人の関係ってなに?」って、子供に聞かれた親はなんて答えたらいいのかな。

2本目を終えて

私の見立てでは、2本目のネタで優勝に値する組がいなかった。
1本目の感じならそのままさや香が同じような漫才やれば優勝出来た。
なのにさや香がネタ選びを完全に間違えた。

そうなったらもう、2本目の中で一番良かった、個性があったのは間違いなくウエストランドだった。
何より重要なのは「近年いないタイプ」ということだと思う。

いやー、審査員が誰を選ぶのかこんなにドキドキしたのは初めてかもしれない。
どうするんだろうかって。誰を選んでもリスクがある。
「このネタで優勝させていいんだろうか」って気持ちに審査員は必ずなる。
だからその背中をそっと押すようなネタを2本目はやりたい。
今回の2本目はネタの面白さで言ったら飛び抜けた組がなかった。

最近は2本目苦戦する組が多い。1年に2本以上面白いネタを作るのは難しい。でも過去のチャンピオンはそれをやってる人も多くいるし。
形を変えてもいいのではないかなー。全組2本やるとか。2本目やらないとか。該当者なしとかね。

余談

今の私のお笑い賞レースの見方

私にとってお笑い賞レースは音楽番組やCDアルバムと近い位置にあって。
その日聞いた曲の中で、「好きだな」って思うものに出会えたら幸運。出会えない日もある。

その日見たネタの中に、1つでも自分好みのネタがあればそれでいい。それが心を彩ってくれるから。それを何度も見て、楽しい。
そんなネタが何本もあったらめっちゃ嬉しい。
誰が優勝したのかより、自分にとってどうだったかが大事。

そう考えるようになったのは、昔から応援してる人たちが優勝できなかったから。
だったら、好きな人や好きなネタを自分の中で大切にしようという思いに至った。

今の時代、YouTubeとかで簡単にいくらでも応援できるし、いっぱいネタも見れる。人気にもなれる。
優勝よりそれは価値があったりする。

下ネタNG

何故若手芸人の中に浸透してないのかが謎なのだけれど、「賞レースは下ネタNG」です。どぶろっくのようにとんでもなくポップで変化球で意表をついてでもいない限り。

それは「下ネタだけ」が悪いわけではない。
今回のオズワルドのネタは、お客さんが想像しにくいネタだと評されたように。
「ついて行きにくい」と感じるお客さんが多いほど、ウケにくくなる。
それは「内輪ウケ」「顔芸」「毒舌」その他なんでも。
つまり、少数派を狙ってはいけない。

下ネタはそれ自体で「笑いにくいな」って思っちゃうお客さんが一定数いる。それは考え方というよりも、むしろ反射的にそう感じてしまうので止められるものじゃない。
笑いの絶対量が減る。つまり高得点は取りにくい。だから優勝出来ない。

もちろん下ネタが大好きなお客さんもいる。
でもその狭い部分の笑いを取りに行くより、もっと広くいろんな人を笑わせに行ったほうが絶対いいよね賞レースでは。
「お笑いマニア」を狙ったようなネタが賞レースではダメなのと一緒。

ただまあ下ネタ悪くないと書いといてなんだけど、「テレビって下ネタNG」ではあるよね。
映画のラブシーンが急に流れて、家族が気まずくなるあの感じ。あれを味わわせてやろうって狙いが無い限りは避けた方が無難。

来年

今年明らかに審査員にも求められていたのは「正統派漫才」「しゃべくり漫才」だった。
イロモノに少し飽きられている。疲れている。
イロモノはイロモノで面白いから高得点もつくんだけど。
毎年1,2組でいいのよそもそも。
マイク前で二人の掛け合いだけで笑いを取る。そこを突き詰めたら圧倒的に需要があると思う。

























**

「誰も傷つかない笑い」
これを求めるの、本当に窮屈なんですよ。いつも書くんですけど。
例えばワールドカップ見て面白いとか感動をありがとうって言うのは、本気でぶつかって本気で負けた人がいるから。つまり「傷ついてる人がいるから」、見てる側はより強く心が動くんです。

というか世の中の物事で「誰も傷ついてないもの」なんて無いので。
「これって誰も傷ついてないから素敵!」
それはそう発言した「私は傷つかなかった」上で、「私以外の誰かが傷ついてるかもしれないけどそんなことはどうでもいいし気にもとめない」という表明で、一番残酷だと思う。
配慮も想像も無いんだもん。
自分の想像が及ばない場所で泣いてる人は見捨てて「誰も傷ついてないですね」と簡単に言い放つ行為。それが正義だって心の底から思えるのでしょうか。

「誰かを傷つける笑いは嫌い」「なんで優勝なの」
その言葉で傷つく人は無視でしょうか。
綺麗事で見ないふりをするのが今の時代に求められることなのでしょうか。

多様性と個性を認める時代。でも「こういう個性はダメ」って多数派が少数派を消していくのはいつの時代も同じ。

……やばい、思想が強く出過ぎた。

傷つく物事をNGとしてしまうのが今の主流の考え方だけれど、そうするとすべての行為がNGになるよね?っていう主張。
そもそも世の中は「すべての物事は誰かが傷つく」という元で成り立っているので、傷ついた先に何があるのか。お互い様だよね。みたいな思考からみんながスタートしてくれたらいいのになって。

マンガやドラマやアニメは優しいものもあるし、とてつもなく嫌な人間が出てきて心を乱して来るようなものもある。
でもどちらも評価されるし、棲み分けが出来ているじゃないですか。
そのどっちもを好きな人もいれば、片方は見たくないという人もいるでしょう。

ある人には好かれ、ある人には嫌われ。
野球が好きな人、ラグビーが好きな人、それぞれあるでいいじゃん。
和食が好き、東南アジア料理が好き。いいじゃんそれで。
「えー、なんでそれ好きなの?」って言われても「いいじゃん好きなんだから」って開き直ればいいし。「まああなたが好きならいっか」で済ませたらいいのに。
相手が好きなものを理解できないことはある。だから否定することもされることもある。だからって人格すべてを否定されたと思わなくていいし、好きなものを嫌いにならなくていい。

何故お笑いだけが「誰も傷つかない」ことだけに固執され美徳とされ評価基準になっているのだろう。